連載 / SERIAL

『天使の代償』最終章:天使と悪魔④

ゴム仮面が水溜りに落ちた。シャープな顎のライン、顎まで伸びた髪、不敵に上がった口角、整った鼻筋、鋭さを帯びたつりあがった目。それは神咲バサラだった。
「バサラ、おまえがゴム仮面の男だったのか」
 バサラは顎まで伸びた髪をかきあげ、力強くうなずいた。
「でも、厳密には俺はバサラじゃねぇ」
 どこからどうみてもバサラにしか見えないが、言われてみれば口調がいつもと違う。まるでチンピラみたいな話し方だ。
「待ってくれ。どういうことか説明してくれないか」
「そのゴミを殺した後でな」
 そう告げるなり、バサラは目にも止まらぬ速さで拳銃を構え、引金を引いていた。
銃口から飛び出した弾丸が、空気や雨粒を削りながらゾップーニの額を目がけて飛んでいく。アキオが身を呈して弾丸の進撃を止め、撃たれた腕の傷を見向きもせずに拳銃を構えた。バサラが不敵な笑みを浮かべる。
「ゴミを守るために俺を撃つっていうのか」
「なんでおまえが、こんなことを……」
バサラが死体を跨ぎながらこちらに近づいてきて、正面で立ち止まると、銃口を目と鼻の先に突きつけてきた。アキオも同様にバサラに銃口を突きつける。
互いに銃口を眼前に向け合ったまま睨み合う。
「もう一回だけ言う」バサラが一語ずつはっきり聞こえるように発音する。「説明は、おまえの後ろにいるゴミを、始末してから、だ」
「そんなこと、させるわけないだろ。まずは銃を下ろせ。さもないと公務執行妨害で……、おまえを撃つ」
「友情よりも仕事のほうが大事なのか」
 バサラが不気味な笑みを浮かべる。その笑顔はまるで悪魔が笑っているように見えた。目の前にいる男はバサラじゃない。正確に言えば体はバサラだが、中身が違う。別の誰かに脳を乗っ取られた、というのが近いだろう。
「おまえ誰だ? 本当のバサラはどうしたんだ」
「俺もバサラなんだぜ。なんつうか裏の人格みたいなもんだな」
 そこでゾップーニが話に割り込んでくる。
「もしかして、ジキルとハイドみたいな感じなの」
バサラは冷たい目線をゾップーニにやり、吐き捨てるように言う。
「ゴミは黙ってろ。てめぇには空気を吸う資格もねぇんだよ」
 その威圧感に負けたのか、さしものゾップーニも閉口した。バサラが首を横に振ってから、こちらに視線を戻す。
「俺はおまえを撃ちたくねぇ。おまえも同じだろ? だったら答えはひとつしかねぇだろ」
「バサラ! 目を覚ませ」
バサラが、勘弁してくれよ、というように頭をかきむしる。
「あいつは今眠ってるから、聞こえねぇよ」
「だったら起こせ! あいつはこんなこと望んでない」
 バサラが口をへの字にしながら首を傾げる。
「上辺ではそうかもしれないが、心の奥底では望んでるんだ。俺はあいつができないことを、代わりにやってるだけだ」
「あいつが望んでるけど、できないことってなんだよ」
「これだよ、これ」
 そういってバサラが構えている拳銃を前後に振ってくる。
「おまえが直接手を下さなくたって、遅かれ早かれゾップーニは死刑だ」
 バサラがゾップーニに目をやる。
「脱獄された上に」
周辺にぐるっと目をやる。
「街をめちゃくちゃにされて、同僚や罪もない人間を殺された。警察や裁判所なんてクソの役にも立たねぇ。だから俺が殺してやる」
こちらに視線が戻ってくる。
「おまえも殺されそうになってたじゃねぇか」
「おまえの言いたいことはよく分かる。だけど、そんなことを許したら、この国は終わってしまうんだ。それと、俺はどんなに傷ついたって能力があるから、そう簡単には死なない」
「この距離で、頭をぶち抜いても死なないのか」
 そういうと、バサラが引金に指をかけた。アキオも同様に指をかける。
「友情とプライド、どっちが大事なんだ」
 アキオが黙りこくっていると、遠くからサイレンの音が聞こえた。とたんにバサラの目の色が変わった。
「時間切れだ」
 そう告げると同時に引金を引いた。アキオはとっさに体を仰け反って弾丸を避ける。背後にいたゾップーニもアキオに押された形で被弾を免れた。アキオは仰け反りながらオーバーヘッドの要領でバサラの手を蹴り上げようとしたが、呆気なく避けられる。仰向けの状態で重なり合って倒れているアキオとゾップーニを、バサラが憐れむような顔で見下ろし、連続して引金を引いた。一発、二発、三発とアキオの体を銃弾が穿つ。アキオとゾップーニが吐血する。銃弾はアキオの体を貫通してゾップーニの体も穿っていた。そして、とどめの一発だと言わんばかりに、バサラが銃口をアキオの額に向けたときだった。いきなりバサラが両手で頭を抱え、地面にうずくまったかと思うと、両手で頭を叩き始めた。
「もう少しなんだ。バサラ、邪魔するんじゃねぇ。もう少しですべてかたがつくんだ。戻ってくるんじゃねぇ」
 バサラは額を地面に押しつけながらしばらく悶絶し、ふいにネジの切れたぜんまい仕掛けの人形のように止まった。しばしの静止を経て、突然体がビクンと跳ねた。ゆっくりと態勢を整えて静かに立ち上がると、辺りを見回す。アキオの存在に気づくと、血相を変えて駆け寄る。
「大丈夫かアキオ? ひどい傷だ。誰にやられたんだ」
「バサラなのか」
「当たり前だろ」
「目を覚ましたんだな。良かった」
 サイレンの音がすぐそこまで近づいてきていた。アキオは後で詳細を説明すると告げ、今すぐこの場を立ち去るように指示をした。バサラはなにがなんだか分からない、といった表情をしながらも納得し、キーがついたまま置き去りになった車に乗り込み、燃えさかる車を避けながら走り去っていった。

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