連載 / SERIAL

『天使の代償』最終章:天使と悪魔⑤

俺がゴム仮面を被り、古川、赤崎、ネロ、紺野を殺害し、ゾップーニとアキオまで殺そうとしていたなんて信じられなかった。説明をしてくれたアキオも同じ意見だった。だが、そのアキオが昨夜その目で目撃したのだ。アキオが俺を陥れるような嘘をつくわけない。スクランブル交差点での銃撃戦で、百名以上の死傷者が出た。多くの罪なき人が命を落とした。彼らの命を奪っていないことを聞いて多少は安心したが、そんなのは気休めにもならなかった。それよりもなによりも俺自身に記憶がないことが問題だ。ワイシャツやスーツはボロボロになっていたが、撃たれたはずの傷もなかった。そのせいか、いまだにアキオの話に実感が湧かない。だが、真実なのだ。受け止めるしかない。
ゴム仮面が現れたのと、俺が天野博士に治療されたのが同時期なのだ。偶然にしてはできすぎだ。なにかある、とも思い、俺はアキオに研究所のことを洗いざらい話し、研究所に一緒に来てもらうように頼んだ。

バサラたちは研究所のドアの前にいた。バサラが監視カメラに目をやると、金属音がし、頑強に補強された両開きのドアがゆっくりと開いていく。白衣を着た白髪の男、地井が笑みをたたえて立っていた。
「おかえりなさい。神咲バサラくん、まさかこんなに早く再会できるとは思ってもいなかったです」それからアキオに目をやる。「おかえりなさい。武者小路アキオくん。久しぶりですね」
 アキオは神妙な顔でうなずく。自分もこんな顔をしていたんだろうな、とバサラは思った。
「天野先生がお二人に会いたがっています。さぁ、いきましょう」
 以前と同じように真っ白な廊下を通って、エレベーターで地下二階まで下りる。さらに廊下を進んでいき、地井が足を止めた。どうやら前回とは違う部屋のようだ。ノックをすると、ドアが勢いよく開き、天野が両手を広げながらアキオに抱きついた。アキオが困った表情を見せてくるので、バサラは抱き返してやれ、というようにうなずいた。抱擁を終えるや否や、天野が興奮気味に語り出す。
「アキオちゃんやないか! 君がおらんかったらバサラくんも数々の実験も成功せぇへんかった。ほんま君は救世主やったで! しっかし、懐かしいなぁ。何年振りやろうなぁ。ちっちゃい頃は、ほっそい体で青白い顔しとったのに、すっかりたくましくなったなぁ」
 アキオは小さく頭を下げてから、頭をかきながらバサラを見る。なんと応えるべきなのか分からない、といった表情だ。バサラが話を切り出そうとした矢先、ふいに女の声がした。
「天野先生。きっとお二人はなにか質問があっていらっしゃったのではないでしょうか」
 バサラたちは吸い寄せられるように女に目をやった。長い漆黒の髪。白い肌。額が広く、切れ長の目で、鼻筋の通って、口元の締まった美しい顔。白衣を着ていても分かるぐらいの豊満な胸。ピンヒールを履いているので、正確な高さは分からないが、ゆうに一七〇センチはあるだろう。短いスカートから細くて長い脚が伸びていた。女は男たちを自然に惹きつけるオーラのようなものを発していた。女は目が合うなり、頭を下げた。
「神咲バサラさんですね。初めまして。天野先生のアシスタントを任せられております神野、と申します。以後お見知りおきを」
 バサラが神野を凝視していると、彼女は頬に手をやった。
「私の顔になにかついていますか」
「いや、どこかで会ったことがあるような気がしまして」
 そこで天野が口を挟む。
「神野ちゃんはこう見えて二十歳やで。そんな若い子と接点あるんかいな? あ、でもバサラちゃんみたいな色男ならあるか。すまん、すまん」
 バサラが天野に一瞬だけ目をやってから、すぐに神野に戻す。
「他人の……空似かもしれないですね」
 神野が妖艶な笑みを浮かべる。
「私の知る限りは、初対面でございます。神咲さんのような素敵な男性にお会いしたことがあれば、必ず覚えておりますから」
「確かに、俺もどっかで見たことがあるような気がする」
 今更ながら言葉を発したのはアキオだった。だが、天野が気にも留めず、話題を変える。
「質問ってなんや」
バサラは、自分が記憶を失っている間に、自分じゃない誰かが体を乗っ取って、騒ぎを起こして困っていること。さらには、怪我をしたにもかかわらず、その傷跡が残っていないことを説明した。ゴム仮面、殺人、撃たれたことはあえて伏せた。説明に耳を傾けていた天野が、何の気なしに言う。
「それ、解離性同一障害やな」
 解離性同一障害は別名、多重人格障害という。切り離した感情や記憶が成長して、別の人格となって表に現れるものである。ある人格が現れているときには、別の人格のときの記憶がないことが多く、生活面での様々な支障が出てくる。これらの症状は、辛い体験を自分から切り離そうとするために起こる一種の防衛反応と考えられている。
「かいりせー、どーいつしょーがい?」
アキオがたどたどしく繰り返す一方、すでに病名を理解しているバサラは、困惑した表情で訊ねる。
「なぜ、解離性同一障害だと即答できるんですか」
「脳腫瘍を消すために投与した薬は、副作用として解離性障害が起こる可能性があるって言わへんかったっけ」
 バサラがかぶりを振る。
「え? ほんまに」そう小首を傾げてから、腕を組んで唸る。「バサラちゃんが焦らせるから、説明するの忘れてたかもしれんな。傷跡が残ってないのも副作用の一つや。あの薬は、アキオちゃんの遺伝子を基にしてるさかい、超再生能力が身についてしもうたんやろ。その能力が副作用で出る人は滅多におらんからラッキーやん!」
 無責任な上に、ふざけた態度の天野を目の当たりにして、思わずバサラが声を荒げる。
「そんな大事なことを言い忘れるなんて無責任ですよ!」
「そんな大声で言わんでも聞こえるがな。せやけど、もしあの薬を使わんかったら、脳腫瘍で死んでたんやで。それ考えたら、副作用があるって分かっててもやってたやろ」
 バサラは怒りを露わにしてつかみかかろうとするアキオを腕で制し、咎めるような視線を天野に向けた。
「もちろん。ただ、そういう副作用が分かっていれば、事前に対策が打てたわけですし、こんな事態にはならなかったはずです」そこでしばし間をおいて、「天野博士。もしかしてわざと言わなかったんじゃないですか」
 アキオが、そうだ、と怒鳴り声を上げると、天野の表情が気の毒なほど強張った。やがて緊張からか、顔面に痙攣が出始める。
「こんな事態って、人殺したわけでも、どっかを爆破したわけでもないやろ。それにわざとやなんて心外や……」
 そういって天野が泣きだす。誰が見ても嘘泣きだと分かる。バサラたちが呆れ顔で首を横に振る。神野が歩み寄り、天野の両肩をそっと抱きかかえた。すると天野は母親に甘える子供のように笑みを浮かべた。外見は四〇代に見えるが、恐らく実年齢は六〇代以上。孫にあやされる祖父みたいなものだ。
「天野先生は純粋で、繊細なお方なのです。バサラさんが思うような方ではありません。ちゃんと治療方法を考えますので、許してあげてください」
 バサラが治療方法の有無を訊ねると、神野の表情が悲痛に歪んだ。無策なことは誰の目にも分かった。気を取りなおした天野が、部屋の隅にある棚から錠剤の入った袋を取り出し、バサラに手渡した。
「精神安定剤や。気休めにしかならんと思うけど、バサラちゃんみたいな精神力の強くて、病気の自覚のある人間なら、これでちょっとは制御できるはずや。超再生能力については病気やないから治せへん。よほどの傷を負わない限りは、死ぬことはないんや。便利な能力なんやから、むしろ感謝してもらいたいくらいやで。それから、解離性同一障害は心の病やから薬では治らへん。肝心なのはバサラちゃん自身の強い心や。君なら大丈夫や」
 天野がしたり顔で言い放ったが、バサラとアキオは石のように冷たい表情で、うなずきもせずに部屋を後にした。
 部屋に残された天野たちが、互いに顔を見合わせる。
「怒ってらっしゃいましたね」
「命を救ってやったっちゅうのに、ひどい扱いや。二人とも昔はええ子やったのに……」
 そういって、天野は物思いに耽る。地井がそんな天野を呼び戻すように話しかける。
「やはり、お二人とも神野さんの存在が気になってたみたいですね」
「そりゃ、そうやろ」天野が不敵な笑みを浮かべる。「ほな、そろそろ実験の続きをやりましょかね」

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