連載 / SERIAL

『天使の代償』最終章:天使と悪魔⑥

研究所から飛行場に向かう車内。助手席に座るバサラは外を見つめていた。青いペンキで塗られた雲ひとつない空を、一羽の鳥が飛んでいる。群れからはぐれたのだろうか。ふいに実家の裏で後藤と一緒に射撃の訓練をしていたことを思い出した。自然と口角が上がるのが分かった。今しかない。バサラは覚悟を決め、話を切り出した。
「もしもまた、俺が正気を失って誰かを殺そうとしたときは、おまえの手で俺を殺してくれ」
 車が公道から外れ、しばし芝生を蛇行してから止まった。アキオがハンドルに額をつけて、ため息をついた。
「自分がなにを言ってるのか分かってるのか」
 バサラがもちろんだ、と告げると、顔を上げたアキオがハンドルを力任せに叩く。
「そんなこと言うなんて、おまえはとっくに正気を失ってるよ!」
「正気だよ。だから、今のうちに頼んでる」
「博士はなんとかなるって言ってたじゃないか」
 バサラは首を横に振り、窓の外に目をやった。さっきの鳥だろうか。一羽の鳥が上空を言ったり来たりしていた。
「今まで心の病にかかってきた社員を、いやってくらい見てきた。彼らのほとんどが現場復帰できないまま会社を去った。体の病気みたいに薬や手術で根絶できるものじゃない」
「おまえはそんな弱くない。冷静だし、頭はいいし、優しい人間だ」
 横目をやる。アキオは真剣な眼差しをしていた。黒目は無垢で濁っていない。きっと俺の目はヘドロのようなんだろうな、とバサラは思った。
「そういうイメージを持たれることが重圧になるんだ……」
 アキオが気まずそうな表情で押し黙るのを見て、バサラが表情を緩める。
「おまえから重圧なんて感じてないから気にするな。社員や他社からの評価に怯えて生きるのが社長の宿命。世の中には社長になりたい、と思うやつがたくさんいる。だが、やってみて分かった。社長なんてやるもんじゃない。毎日、毎分、毎秒ストレスを感じて、休日になってもそれがついてまわる。親父のすごさが今になって分かった。ガキの頃は家に帰ってこないし、構ってくれなかったことを恨んだが、あの人は社長もやりながらマフィアのボスもやって、父親もこなしていた。二足の草鞋どころか、三足の草鞋だ。頭が下がるよ」
「おまえにだってできるさ! それに子供はどうするんだよ。マリアはどうするんだよ」
「彼女たちのためにも、俺を殺して欲しいんだ」
 アキオが息を飲む。
「いつか、彼女たちにも危害を加えるかもしれない。それを想像しただけで、胸が張り裂けそうになる」
 そういうとバサラは目を閉じて、こめかみを指で揉んだ。
「心配するな。あいつは……、もう一人のおまえは、悪人を退治することが目的なんだ。だから心配ないんだよ」
「それは違うと思う。あいつの目的は俺を守ることだ」
「守るだって? バカなこというなよ。守るどころか散々迷惑かけてるじゃないか」
「俺が心の奥底で望んでることを代わりにやってる。あいつそう言ったんだろ」
 アキオがうなずくのを確認して、バサラは話を続ける。
「社長に就任して、マリアと結婚して、子供ができて、守る人が増えていく内に、俺の心はどんどん曇っていった。犯した過ちを知っている人間がいることがずっと不安だったんだ。消えてくれればいいのに。いっそのこと消してやろうとさえ考えていた。あいつはその不安を抹消するために現れたんだと思う」
「おまえが犯した過ちって、ラグナロクにいたときのことか? あいつは、あの頃のおまえを知っている人を殺してるってことか」
 バサラはしっかりとうなずいた。
「じゃあ、殺害現場に、ラグナロク、ってメッセージを残したのは、それを指してたのか……。でも、古川はおまえの過去を知らないはずだ」
「彼女の殺害は、犯人が脱走者を狙っている、と見せかけるためのカモフラージュだったんだろう」
「だとしたら、わざわざ殺害現場にヒントを残すか? 事実、そのせいで緑川さんはおまえを疑っていた」
「それは……」
 そう呟くと、バサラは険しい表情のまま黙りこくった。こめかみを押さえ、先ほどよりも強く揉んでいる。さすがのバサラも理解できないといった様子だ。アキオが深々とため息をつくと、バサラの肩に手をのせた。
「分かった。もしものときは、俺に任してくれ」
 バサラが微かな笑みを口元に浮かべ、小さくうなずいた。
「だけど、今のおまえには超再生能力があるからな……」
「あくまでも推測の域を出ないが、たとえ再生能力があろうと、脳を撃ち抜かれたら死ぬはずだ。体の機能は全て脳からの指示で成り立っている。脳が破壊されることで能力は発動しないはずだ」
「そうか……」
 おまえは自分の殺し方すらも冷静に分析するんだな。アキオはそう思いながら再びため息をつくと、おもむろにエンジンをかけた。時計に目をやる。時計は午後三時を過ぎたところだった。飛行機の出発まで時間がない。今夜七時、本庁から刑務所にゾップーニを護送する予定だと耳にした。まだスクランブル交差点での報告も行っていない。アキオが苛立ちをぶつけるようにアクセルを強く踏み込んだ。車はどんどん速度を上げていく。その瞬間だった。突然、バサラがハンドルをつかんできた。
「おい、なにを――」
 バサラの目は狂気に満ちており、顔は不敵な笑みで歪んでいた。アキオが抵抗しようとしたとき、バサラは一気にハンドルを右に切った。ブレーキを踏む暇もなく、車が公道沿いに並んだコンクリートの電信柱に突っ込んだ。

「連絡が取れないだと? ただでさえ人員が足りないというのに、あいつはどこに行ったんだ」
 報告にやってきた部下の男は、緑川に恫喝され、今にも泣きだしそうな顔でうつむいていた。
アキオは誰にも行き先を告げずに島へ向かったのだ。
緑川は立ち上がり、苛立ちを抑えきれず机上にある時計や写真立て、山積みになった書類の束を床に叩きつける。それから自身が座っていた椅子を思いきり蹴る。椅子は勢いよく滑っていき、本棚にぶつかり、本が雪崩のように床に落ちる。怒りの収まらない緑川は、色濃い絨毯の海に散らばった本や書類を片っ端から蹴る。
 緑川がここまで取り乱す理由は、スクランブル交差点で起こった事件のせいである。一般市民の死傷者は百名にのぼり、再編成されたSATは全員殉職し、警察車両は全て使い物にならなくなった。おそらく被害総額は数億円にのぼる。それらの批判の矛先は、責任者である緑川に向けられた。アキオのせいである。むろん、彼がいなければ被害規模はより大きいものになっていたが、そんなことを考慮してくれる人間は上層部には存在しない。みな、責任逃れや、罪のなすりつけ合いに躍起になり、緑川が槍玉に挙げられたのだ。そんな状況下で、なんの報告もなしにアキオは姿を消したのだから、緑川が憤怒するのも仕方ない。おまけに今日は、本庁に拘留していたゾップーニを八王子医療刑務所、通称「八刑」に護送する日だ。ゴム仮面の男が再び現れるのは火を見るより明らかな状況だというのに、頼みの綱であるアキオがいないのは、緑川にとっては痛恨の極みなのだ。
 やがて、暴れ狂っていた緑川が、ゼエゼエ言いながら机のへりにつかまった。足が震えだし、耐え切れずに両膝を絨毯について、そのままうずくまった。三年前に負った全身火傷の後遺症で、皮膚呼吸が全く機能しておらず、激しい運動をすることで急速な酸素不足に陥り、激しい頭痛と動悸と息切れに襲われるのだ。部下の男が急いで救急車を呼びに走る。うずくまっていた緑川の体から力が抜け、うつ伏せになって動かなくなった。

 午後七時。ゾップーニ護送の時間になった。三台のパトカーが発車し、それからゾップーニを護送するために用意された、長さ九メートルの大型護送車が後に続く。窓は外から覗かれるのを防ぐためにスモークフィルムが張られており、犯人の逃走を防止するため窓の内側には鉄格子が装備されている。たった一人を運ぶには異例の大きさだ。車内には銃器を装備した十名の屈強な警察官がいる。護送車の後方からは覆面パトカーが三台続く。
緑川は命に別条はないものの、主治医から絶対安静を命じられ、現場につくことは許可されなかった。そのため緑川は部下たちを病室に呼び寄せ、ゾップーニ護送の最終打ち合わせを念入りに行った。
護送はスムーズかつ安全に行われていた。
表参道交差点を通り、代々木公園の手前の交差点の信号で赤信号につかまり、全車が停車した。信号が青になり、護送車の前を走る三台のパトカーが交差点を渡り、護送車がそれに続いて渡ろうとした瞬間、黒の四輪駆動車がものすごい勢いで護送車の横っ腹に突っ込んだ。そのまま数メートル進んだところで、護送車と四輪駆動車が止まった。前後を警備していた車から、血相を変えた制服警官と私服警官がおりてきて、拳銃を構えながら駆け寄っていき、四輪駆動車を取り囲んだ。ドアが開くと、中からゴム仮面をかぶった男が現れた。その刹那、警察官たちは一斉に発砲した。ゴム仮面の男は蜂の巣になり、無防備なままうつ伏せに倒れた。一人の警察官がおそるおそる近づいていき、ゴム仮面の男を仰向けにさせる。首元に指をあてて脈を取ると、無線に向かって被疑者死亡を報告し、周囲にいた警察官に、大丈夫だというようにうなずいてみせた。全員が安堵のため息をついたとき、ゴム仮面の男からピーという警告音がし、その直後に体ごと爆発した。

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