連載 / SERIAL

『天使の代償』最終章:天使と悪魔⑦

爆風で警察官たちが木の葉のように吹き飛ばされ、冷たいコンクリートの上で動かなくなった。ゴム仮面の男が爆発したのだ。時限爆弾が仕掛けられていたのだろう。やがて護送車のドアが開き、車内で警護にあたっていた警察官たちがおりてくる。すると突然、先頭にいた警察官が撃たれた。続けざまに他の警察官も撃たれる。背後にいた警察官が、撃たれた男を車内へ引っ張り込んだ。ある者は同僚の応急処置をしろと叫び、またある者は狙撃者を探せと叫び、ある者は右往左往しながら意味不明なことを叫ぶ。車内は大混乱の様相を呈している。そんな中、最後部座席に座るゾップーニが、車内の様子を眺めながらケラケラと笑っている。バサラに撃たれた傷が痛むのか、笑っては痛がり、また笑っては痛がりを繰り返している。ふと窓の外に目をやり、口元を引き攣らした。いつの間にか表情のないゴム仮面の男が交差点の真ん中に立っていた。先ほど自爆したのは身代わりだったのだ。スモークフィルムが張られた窓なので、向こうから車内は見えないはずである。しかし、ゴム仮面の男が自分を凝視しているように感じ、ゾップーニは思わず身震いした。震える手を見て首を傾げる。『破天荒、傲慢、怖いもの知らず』を売りに裏の世界を生きてきたゾップーニにとって、恐怖という二文字は感じるものではなく、感じさせるものだった。手錠と足錠をされた状態で立ちあがる。生まれて初めて体験する恐怖が、全身を、心を震わせている。ゴム仮面の男が護送車に近づいてくる。その手には拳銃が握られている。唐突にゾップーニが甲高い声をあげる。己を奮い立たせようとしているのだ。背中から撃たれたかのように、警察官たちはびくっと震え、振り返る。ゾップーニは叫び終えると、不敵な笑いを見せた。背負っていた荷物をすっかり下ろしたかのような、清々とした表情になった。
「恐怖ってのを楽しませてもらおうじゃないか」
 そう呟くと、すぐ手前にいた警察官の腰についたホルスターから拳銃を抜き取り、銃口を向けた。
「さっさと手錠外してくんない」
 ゾップーニは、手錠を外し終えて踵を返した警察官を、背後から羽交い絞めにし、銃口をこめかみに押し付けると、護送車を開けるように指示した。ドアが開くと、外に出ろ、というように顎をしゃくらせた。外にはゴム仮面の男、車内にはゾップーニ。さながら前門の虎、後門の狼である。警察官たちは互いに顔を見合わせ、行くぞ、というようにうなずくと、車内から飛び出した。直後に銃声が連続して鳴り、静かになった。ゾップーニはがっかりした表情で首を横に振る。護送車から地面に降り立った瞬間銃声がし、鮮血がゾップーニの顔に飛び散った。

 アキオは渋滞に嫌気がさして横道に折れた。時計は七時半を示している。午後七時に本庁を出たなら、今ごろ表参道の辺りだろう。表参道と書かれた表示が目に入る。携帯電話を取り出して緑川にかけるが、相変わらず音信不通だ。怒って無視されているんだろうか。それとも、護送中なので携帯電話の電源を切っているんだろうか。裏道を通って広い道に出たが、そこも渋滞していた。右に曲がる道路で前方に目を向けたが、工事作業をしているわけではなさそうだ。なんか嫌な予感がするな。ふいにサイドミラーに目をやると、バイクが車の隙間を走って来るのが見えた。ドアを開けると、甲高いブレーキ音がし、バイクに乗っていた男がヘルメットのカバーを外して、罵声を浴びせかけてくる。胸ポケットから警察手帳を取り出して黙らせると、有無も言わさずにバイクを拝借した。
 バイクにまたがったアキオが、車の隙間を縫いながら走っていく。この渋滞はいったいなんなんだ。やがて、前方から血相を変えた人波が迫ってくるのが見えた。事故でもあったのか。走ってきたサラリーマンの首根っこをつかんで状況を訊ねる。予感は的中していた。護送車と数台のパトカーが、何者かに襲われた、とのことだった。爆発音がして、銃声もしたそうだ。バサラに違いない。アキオはグリップを力強く捻った。
表参道の交差点から代々木公園につながる坂道をあがっていく途中で再び銃声がした。代々木公園の手前にある十字路で渋滞は終わっていた。野次馬のように並ぶ自動車の間を抜けると、バイクを止めた。回転灯を光らせる覆面パトカーが視界に入った。四輪駆動車に突っ込まれた大型護送車。その周辺に制服警官と私服警官が道路に倒れている。衣服が焼け焦げ、肌がすすけていた。おそらく爆破に巻き込まれたんだろう。それ以外に爆破した痕跡がない。手榴弾でも投げ込まれたのか。もはや、もう一人のバサラは、無差別殺人鬼と化してしまったのか。見ると、ゴム仮面の男が拳銃を構えていた。銃口の先には、血しぶきを浴びたゾップーニと、額から血を流した警察官が立っていた。
「バサラ!」
 ゴム仮面の男がこちらを見る。
「遅かったじゃねぇか。今からとどめを刺すからよ、ちょっと待ってろ」
 バサラで間違いなかった。アキオはバイクからおりるやいなや怒声をあげる。
「ふざけるな! その体はおまえのものじゃない! 勝手な真似をすんなっ!」
 バサラは答えもせず引き金を引くと、ゾップーニがすでに息絶えた警察官を楯にした。バサラが肩をすくめる。
「見ただろ? こんなゴミみたいなやつ殺してなにが悪い」
「そいつがどうなろうと俺は構わない。ただ、バサラの体を使って勝手なことをすんな。その体から出ていけ」
 バサラがやれやれとかぶりを振りながらため息をつく。
「あのな、今は俺がバサラなんだよ」
 そこで痺れを切らしたゾップーニが、警察官の肩越しに「君、バサラなの」と訊ねたが、誰にも相手にされなかった。
 アキオが拳銃を抜いて構える。
「いいから、バサラにかわれ」
「やなこった」
 再びゾップーニが口を挟もうとしたとき、バサラがアキオに顔を向けたまま、目にも止まらぬ速さで拳銃を構えて引金を引いた。虚をつかれたゾップーニは喉元を撃たれ、口を開けたまま動きを止めた。舌は動くが声は出ない。盾にしていた警察官を手放し、両手で首を押さえる。指の隙間から鮮血が漏れ出る。ゆっくりと後ずさりしていき、にかっと笑う。白い歯にべっとりと血がついていた。
「また遊ぼうね」
 そう告げると、ゾップーニはごふっと血を吐き、地面に倒れこんだ。
 動かなくなったゾップーニを指さしながら、バサラが高らかに笑い声をあげ、向き直ったとき、アキオは渾身のパンチを見舞った。骨が砕ける音がし、バサラが勢いよく吹っ飛び、水面を跳ねる飛び石のごとく、アスファルトを跳ねていった。仰向けに倒れたバサラが、むくりと起き上がり、ゴム仮面を脱ぎ捨てた。潰れた鼻が自動的に元に戻る。
「再生能力ってのは便利だけどよぉ。いてぇんだよな。どうせなら無痛の能力も欲しかったぜ」
 バサラがぼやきながら立ち上がり、ズボンについた砂埃を払い、着崩れたジャケットを直すと、こちらに歩み寄ってくる。
「俺たちはよぉ、お互い超再生能力の持ち主なんだ。いわば、不死身と不死身の決闘だ。いつまで経っても終わりがねぇんだよ。まぁ、爆弾とか、電車に轢かれてバラバラになっちまったら死んじまうのかもしれねぇけど、お互いそんなこと望んでねぇだろ」
 手を伸ばせば届くか届かないかの距離で、バサラが足を止めた。
「おまえの目的は、バサラの望みを叶えることだろ。こんなこと、あいつは望んでない」
「んなのは百も承知だよ」
「やっぱり。他の目的があったんだな」
 バサラが口をへの字にし、肩をすくめた。
「当然だ。こう見えても、俺だって立派な人格を持った一人の人間なんだぜ。いつまでもあいつの日陰にいるのはごめんなんだよ。俺は俺として生きてぇんだよ。生きて、俺という存在の証明がしてぇんだよ」
バサラは、どこか遠くを見るように目を細めた。
「大事な人を守るためには、人を殺すことも厭わなくなったとき、天使だったあいつは悪魔になった。そして、俺が生まれた。だが、裏社会から足を洗い、カタギとして平穏な生活するうちに、どんどん天使に戻っていった」
 それはアキオも薄々気づいていた。初めて会ったとき、バサラはまさに天使だった。優しくて思いやりのある少年だった。母親の仇を探し始め、大事な人を失いそうになるたびに、あいつは自分を責め、自分の人格を無理やり捻じ曲げた。
「だが、チャンスは突然やってきたんだ。脳腫瘍を治療した副作用で、あいつは解離性同一障害になった。それは閉じ込められていた独房のドアが、開いた瞬間だった。眩しかったぜ。俺は恐る恐る独房から出た。でもよ、まだあいつの精神は生きていて、抵抗しやがった。俺は独房に戻されるたびに、どうやったらこの体を俺だけのものにできるかを考えた。そこで妙案を思いついたんだ」そこでわざとらしく間を開ける。「あいつを俺の色に染めてやればいいんだ。あいつを精神的に追い込んでいけば、三年前のように目的を果たすためなら手段を選ばない悪魔になると踏んだんだ。そうすれば、俺とあいつの意識は一体化し、この体は俺のものになると思ったんだ」そこで両手を広げた。「結果は見ての通りだ」
「まさか、殺害現場に血文字でラグナロクって残したのは……」
 バサラが不敵な笑みを見せ、一歩踏み出して、鼻と鼻がぶつかりそうな距離まで近づいてきた。
「そうだよ。あいつを追い込むために、わざと残したんだ」
「方法はなんであれ、自分の存在を証明したいのは当然の欲求だ。間違っちゃいない。だけど、だけど、間違ってる! おまえはバサラじゃないんだ」
「俺とは相棒になれないっていうのか? 三年前までは俺だっておまえと一緒に同じ目的のために頑張ってたんだぜ」
 そういって、肩に手をのせてきた。答える代わりに、その手を振り払うと、バサラが深いため息をついた。
「つれねぇやつだぜ……。だったらもう残す方法はひとつ」
 そういって、一歩下がると拳銃を構えてきた。
「殺し合うしかねぇぜ」
咄嗟にアキオも拳銃を構える。互いに銃口を眼前に向け合う。
口の中が乾いている。心臓が激しく上下するのが分かる。ふいに、昨日バサラから告げられた言葉が頭で再生された。研究所から飛行場に向かう車内で頼まれたことだ。
『もしも、また俺が正気を失って誰かを殺そうとしたら、そのときは俺を殺してくれないか』
 自分が死ぬか、バサラを殺すか。究極の選択を迫られていた。
 やがてバサラが先に引金に触れた。それを見たアキオは、しばし考えてから、拳銃を構えた腕を下ろした。
「俺たちは、いつでも二人でひとつだ」
 アキオの瞳から一粒の雫が零れ、頬をつたう。
「二人でひとつごっこはおしま――」そこまで言いかけてバサラは「ああ」と呻き声を出した。拳銃を構えてない手で額を覆い後ずさりしていく。
「くそっ。てめぇ、まだいたのか」
怒りで歪んだ表情が、すっと穏やかになった。
「アキオ……。今だ。あのときの約束を――」
 次の瞬間、再び怒りで歪む。
「ちっきしょぉ! そうはさせるかよぉ。この体は俺のもんだ。おまえはすっこんで――」
 再び、表情が穏やかになる。
「頼む。アキオ。こいつは、おまえもマリアも子供も殺す気だ。もうこれ以上はおさえられない。頼む、早く……」
 アキオは拳銃を構える。震える手。奥歯を噛みしめる。瞼をきつく閉じてから、大きく見開き、口を尖らせる。眉間に皺を寄せる。
 バサラの額に照準を合わせる。
「先に行っててくれ……。俺もそのうち会いに行く」
 バサラが微かな笑みを浮かべながら頷いた。
 悲しみを含んだ銃声が轟いた。

事件の翌日、警視庁捜査一課のフロアにはアキオ以外誰もいなかった。デスクに座り、目の前にある書類の束をうつろな目で見つめていた。手のひらを見つめる。小刻みに震えている。まだ、バサラを撃ったときの拳銃の衝動がそのまま手の中に残っている。手を洗っても火薬と血の匂いがとれないような気がした。ワイシャツで手のひらを拭こうとしたとき、バサラを抱きかかえたときについた血の染みが目に入った。途端に、デスクの書類の束に怒りをぶつけた。書類が雪崩のように床に落ちていく。それから拳を何度もデスクに振り下ろした。拳に痛みが走り、ネズミ色のデスクがどんどん赤くなっていく。
昨晩、代々木公園前で起こった護送車襲撃事件は、ゴム仮面の男による犯行と捉えられ、改めて警視庁内に緊急対策本部が設置された。ゾップーニは奇跡的に一命を取り留めた。ゴキブリのような生命力の持ち主だ。彼はゴム仮面の男に襲撃され、それを止めようとしたバサラ、および警察官はゴム仮面の男によって殺害された、とアキオは報告した。
着信音が鳴り響いた。辺りに目を配るが、携帯電話が見当たらない。耳を澄ましてから、床に目をやる。落ちた書類をかきわけた先に携帯電話があった。大学病院からだった。バサラの遺体が運び込まれ、司法解剖が行われた病院だ。痛みは残るが、傷のない手で携帯電話をつかみ上げ、耳に押し当てる。バサラの担当監察医を務めた医師からだった。アキオは何度か相槌を打ったあと、驚嘆の声をあげた。昨夜の時点で司法解剖を終え、安置所に運ばれたバサラの遺体が消えた、とのことだった。そのとき、プップップとキャッチが入った音がした。液晶画面を見ると、登録されていない番号だった。アキオは監察医に後で訪問する旨を伝え、液晶に触れてキャッチに出た。
『おれだ』
 その声は死んだはずのバサラだった。
「おまえ、死んだはずだろ」
『死んでたさ。恐らく脳内に銃弾が残っていたことで、再生能力が働いていなかったんだろう』
 その冷静な口ぶりはいつものバサラだった。
「おまえ記憶は」
『全部覚えてる、と思う』
「そうか……。とにかく今から会えないか」
『いや、俺の脳内にはまだあいつがいる。まずはあいつと決着をつけてからだ』
「そうか……。そうだよな」
それからしばし沈黙が続く。
『デスクにあたっても無駄だぞ。それじゃ、マリアたちのこと任せたぞ』
「いや、おい、ちょっ」
 そこで電話は途切れた。アキオは窓際に駆け寄り、目を細めて辺りに目を配る。だが、バサラの影は見当たらなかった。

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